本棚を買うと本が置ける

 今日は色々できた。

 『ドクターストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス』をようやく観れた。作業が立て込んでいたものの、なんとか『ワンダビジョン』を観れたのでようやくストレンジを観れた(本当最高!!!!)。さらにようやく買った本棚が届き、組み立てた。久方ぶりにジムも行ったし。健康優良児(不健康不良大人になろう)。

 

 んで、本棚を置いてわかったのだが、本棚を買うと本が入るのだ。同時に「床が見えるようになる」ということがある。素晴らしい。歩ける!!

 本は無限に増えていく性質を持っているので、定期的に「位置」を購入・設置していかないと床もなくなるし、ベッドの寝るスペースが半分になる。何度ぼくは本と添い寝しただろうか。

 

 あと昨日『劇場版 ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』を観て、大変良かった。勧められたのをきっかけに観たのだけど、観て良かったな。これについてはちょっとアイデアが出たので実現したいな。できたらブログに書きます。

へけっ

 

 昨日の話だけれど、心が荒んでいたので『とっとこハム太郎』1話を観た。ので、思ったことを書いていきます。

 

 ハム太郎、こうしくん、タイショーくん、リボンちゃんの登場回だったのだけれど、観ていて非常に驚いた。

 話の展開として、タイショーくんは初対面のハム太郎とこうしくんに恋の悩みを打ち明ける。二匹のアドバイスをもとにタイショーくんはリボンちゃんに歌を披露しようと試みる。初めて知ったのだけれど、タイショーくんがリボンちゃんに惚れる方がハム太郎とリボンちゃんの出会いより早かったんだ! BSS(僕が先に好きだったのに)じゃん。タイショーくん……。

 

 しかしハム太郎は「くしくし!」とか「てけてけ」みたいに動くたびに擬音を口にする。みんなそうなのかなと思ったのだが、どうもハム太郎だけみたいだ。なんか、オタクの女子中学生とかがそういうことするみたいな狭いステレオタイプってある気がする。

 

 あと意外だったのがろこちゃんが陰キャだったことだ(引っ込み思案というべきか)。引っ越してきたばかりで仕方ないのだが、お父さんと散歩中に公園で同い年くらいの女の子を見つけるや「早く行こ!」とお父さんの手を引っ張り始める。そういうタイプだったのか……。

 

 ところでぼくはねてるくんが好きなので、早く出てくると嬉しい。(Amazonでねてるくんの大きいぬいぐるみがあって欲しくなったのだけれど、6000円もしたのでちょっと躊躇しています)

帰宅して爆睡してしまい、夜にしたかったことが飛んだ。ブログもそうです。

 

アールグレイミルクティーを飲んだ。苦手かも。なんか芳香剤みたいな香りがした。嗅いでみると、無印に入ったときみたいな匂いだなと思う。アロマ感。

 

友人が痩せすぎの病「気胸」になった。数年ぶり3回目とのこと。そんなことあるんだ。ぼくは一生縁がなさそう。「痩せ」についての健康被害って、栄養失調とか摂食障害とかの、「無理なダイエット」に起因するものがよく言われるから「普通に痩せ型」のひとに起こる病状はあまり聞かない。もちろん、痩せ型のひとにとってはそんなことないんだろうけど、食事をだらだらと永久にしてしまう自分としては極めて遠い世界の話だ。

そろそろダイエットでも再開するか……という気持ちにはなっているのだけども、モチベが続かない。体重を測ることで体重減少をモチベーションにするのがいいんだろうが、体重を測ることそのものがストレスになってしまったのでちょっと考えないといけない。自分をあやしながら一定の方向に進める施策……。

 

自分をあやすって大事だな。一時期「自分の機嫌は自分で取る」みたいな言いかたがインターネットでよく見られて「アンガーコントロールできないやつは一人前ヅラしてはいけません」的な空気を感じて怖かった。最初は「なるほど! たしかに!」と思っていたけど、感情ってそんなにコントロール可能かなぁ、なんだか人間をやめろと言われている感じがするぞと思ってから懐疑的になった。そうすると「あやす」ってのはいい。「はいはい。わかったわかったから。おやつどーぞ! こっちこっち。来れるー? こっちだよ! おやつこっちだよ〜」みたいなわざとらしさとそれとなさがある。自分にも適用していきたい。

 

「やらなきゃいけないこと」がここしばらく大変なストレスになっていて、それがなんとか終わった。結果としては悪くないものだった。てっきりもっと散々なものになるかと思っていたから、拍子抜けしつつもでもなんとかできて良かったなと思った。ひとりでお祝いみたくご飯食べに行ってみたりした(評判のうどん屋に行ってみたけどあんましだった)。ひとに「このように頑張りました!」と言ってみたら「? ふーん(なんかよくわからないけどよかったですね)」みたいな反応を受け、ぼくのなかでかなり破壊的なイベントだぅたことが全然伝えられなかった。ずっと肩の荷があり、それが降ろせたのです……。まあ、みんな多かれ少なかれそうなのかもしれない。そのひとつやふたつで大仕事だったみたいな顔をしていたぼくが悪い……。「ほーら。頑張ったねえらいえらい。よーしこっちおいで。ドーナツあげちゃう! 歩けてえらいね〜」

Fresh meat

 ずっと放置していた作業の期限が迫ってきており非常にしんどい。今の作業状況で昨日寝ていたらこんなに苦しくなかったんだろうな。でもそしたらそれはそれで今日だらける時間が延びただけだろうからきついことに変わりはないのかもしれない。怠惰な自分をどうにかすべきだろうが、どうにもならないので一旦引き受けてやっていくしかないのです。

 本当なら日記を書いている場合ではないんだろうけど、でも書かないとまたやめてしまうだろうから書く。

 

 誕生日祝いとしてしゃぶしゃぶを家族に振舞ってもらってから、ひとりでしゃぶしゃぶをすることがある。薄切りの豚肉を、顆粒の昆布だしを入れたお湯に突っ込んでポン酢をつけるだけだが。

 いつもは冷蔵後で終わりつつある「買ったはいいけど誰にも使われず、直近で使われる可能性の低い」豚肉をもらってやっている。別にお腹壊してもいないし普通に美味しいので満足していた。

 今日はそういう食材が家になかったので普通に近所のスーパーで豚肉を購入した。ひとつだけ20%引きの豚肉があり「やりい」とカートマンよろしくほくそ笑んでカゴに入れる。

 早速家に買ってお湯を沸かして調理した。食べると、なんかうまい。

 なんと言うか、プリプリしている気がした。歯触りが違うと言うべきか、弾力をめちゃくちゃ感じる。いつも家で終わりつつある豚肉が入っていたパッケージと、多分同じやつだったので種類が違うってこともないだろう。明らかに数段美味しかった。

 考えればすぐにわかることだけど、「終わりつつある豚肉」はたとえ割引シールが無かろうと、チルドで真空密閉されていようと賞味期限が過ぎているものなのだ。対して買ってきたものは割引シールが貼ってあろうが、期限内のもので新鮮さでは数段優っている。

 よくスーパーの精肉コーナーに「Fresh meat」と書いてある気がするが、実際に売っているものは新鮮なんだなあと、当たり前のことを実感してしまった。日常に潜む感動。肉はうまい。

 かと言ってお腹いっぱいになってしまったので使いきれなかった。明日くらいに食べるだろう。すると今日の感動はないのかもしれないけれど、いつもと同じ満足感がある。買ってきた日に食べるとお得だね。

 

 教訓:食材はできるだけすぐに使おう!

 

 (11月はほとんど「いい〜の日」にされていると勝手に思っているんだけど、「いいしゃぶしゃぶの日」はあるのだろうかと考えてみた。覚醒剤と引っ掛けて「いいシャブの日」もできないかなと少し考えたけれど、特に思いつきませんでした)

山椒魚

 今日は非常に偉かった。

 まず先日言っていた「黒烏龍茶」探訪の旅へ出た。近くの中国人街にある食料品店を2つ回った。そこで知ったけれど、どうも黒烏龍茶は商品名に過ぎないようで、別に中国で親しまれているわけではなさそうだということ。というのも、黒烏龍茶はほとんど売っておらず、あってもめちゃくちゃ日本語パッケージのティーパック。その隣には1kgの烏龍茶葉があったのでやはり普通に/の烏龍茶が主流なのだろう。さらにその隣にはプーアル茶が1kgあり、このふたつが中国茶メインストリームとわかる。

 仕方がないので普通のスーパーに寄りがてらお茶コーナーを見てみると伊藤園の「濃い烏龍茶」を発見した。もうこれでいいや。パッケージ黒いし。

f:id:MyYm34443:20220507150311j:image

 そこで烏龍茶探訪は終了。あとずっとやらなきゃと思っていたFendartスラックス(最高オブ最高。シルエットが神なのでみんな買おう)の裾上げを依頼してきた。ゴールデンウィーク期間中のキャンペーンで15%オフだったし最高。ついでにカロリーゼロのカルピスのでかいペットボトルも買えたし、近所のカレー屋にも寄れた。

 なんなら朝イチでつるかめ算の解き方(連立方程式を使わない小学生がやるやつ)を勉強して、一体どういう操作をしているのかという長年の謎が解けたし、非常に有意義。

 美容院の予約もしたし(ずっと切ってもらってたひとが独立してひとりでやっているため、なんと1ヶ月待ちになってしまった!)、ギターもちょっと触って練習したし、なんならブログ書いてるのも偉い。

 やらなきゃ〜とやりたいな〜を同時に完了してしまい、余りの偉さに目眩がする。本当にやんなきゃなことに目を背けてはいるが、しかしそれはそれとして自分に100点をあげちゃおうね💯💯💯💯💯💯💯

 軽率に自らを褒めていきましょう、ね。

 近所にしか行っていないし、自分のできる範囲の穴蔵で満足している山椒魚みたいな生活。でもそのくらいの心地よさを積み重ねるのも大事なのだと思う。

 

 あ、急に「フェニキシアン・クラスター・アマリリス」という単語(遊戯王のカード名です)が頭に浮かび、調べてみたら禁止カードになっていた。花系の植物属デッキ作りたいな。

ぼくもそう思っていました

 ダ・ヴィンチ・恐山のnoteに課金した(初月無料期間だけど)。やや高めの黒烏龍茶プランの方にしたのだけど、その表記を見た瞬間「黒烏龍茶欲しかったんだよなあ」と「思い出した」。

 実際、ぼくはお茶のなかでは烏龍茶が1番好きなので、近所の中国人街なら安く大量に買えるんじゃないかと黒烏龍茶を買いに行こうと画策した時期がある。結局めんどくなっちゃって行ってないんだけど、「黒烏龍茶プラン」を見て、過去の自分の思考を思い出し、買いに行こうかな、と思った。

 でも、これが自分から「思い出した」って言えるのか不安になってきた。

 それこそ恐山がオモコロchの動画(恐山の3択クイズ)で「自分の記憶だと思って話したが、ふと思い返すとネットで見た他人のエピソードだったかも」と不安に駆られている*1。こういうことがすごくある。ネットで「個人の感想」に触れすぎると自分の考えなのか誰かの考えなのか区別がつかなくなる感覚が訪れる。得意げに話したことが、思い出すと他のひとの意見だったりすることが多い。自分の意見、というのは存在するんだろうか。

 人文系の勉強をしていたりすると、他のひとの言葉や調査を引用して根拠にするものだから、自分の思考がどこにあるかわからなくなる。例えばネットで「低学歴で低賃金なのは自己責任」という意見を見たら「でも環境によってハビトゥスが違うから階級は固定されがちだよね」と思うだろう。でもこれはぼくの意見というより、ブルデューの意見だ。自分の思考回路が、借りてきた言葉でいっぱいになっている。

 ちゃんと思考するために他のひとの肩の上に立とうとしたつもりが、肩に埋もれている感じ。まあ、少しずつ脱そうとしてちゃんとブログを書こうとしているんですが。

 

 しかし「常識とはn歳までに揃えた偏見のコレクションのことを呼ぶ」みたいな言葉は嫌いだったのだけれど、そういうことなんだろうか。

 

#日記

剃の毛と身体

 「脱毛」の広告が悪いことの象徴のように言われていることをよく見る。電車のやつ。

 その気持ちはわかる。電車に乗ると「脱毛せよ」「転職せよ」「金を借りよ」「酒を飲め」の大合唱で、すべて資本の論理によって身体とか生活とかが囲まれる感じ、嫌だよね。

 でもまあ、ぼくはぼくで首から下の体毛はあんまりいらないな、とここ数年思っている。かといって地毛(髪の毛以外も地毛って呼ぶの???)が特段薄くもないので、入浴時間が非常に長い。剃るのに時間がかかるからだ。

 ぼくは男がスネ毛などを生え散らかしたまま短パンなど履いているのがあまり好きではない(本人は好きにすればよろしい)ので、ぼく自身は剃っていたい。それが現代的な資本の洗脳と言われるのならそれでいい。

 「脱毛」が美のスタンダードになってしまうのには抵抗したいけど(やりたいひとはすればいいし、興味ないならそれでいいしそういう美しさもある)、ただ「生えっぱ」を褒めたたえたくもない。

 これは完全に印象だけで確証もないのだけど、「現代的でポリコレ的な自由」の象徴にされたりするようなタレントさんとか「キャラクター」って、どこか同じ属性を共有しているする気がする。「髪が虹色or派手髪」「脇だろうがなんだろうが生え放題」「LGBTQ+アライ」*1「ピアスばちばち」みたいな。全部名乗っている個人が本当に実在したか確かじゃないし、いたとしてもサンプル数が極小の可能性もあるし、全然藁人形作っちゃってたら申し訳ないのだけれど。

 インターネットのアンチ・ポリコレのひとたちのような嫌悪をPC(ポリティカル・コレクトネス)には抱いていないし、自分は割とPC必要派ではあると自覚しているけど、しかしその結果として身体の表現とかが狭まることがないようにしていきたい。まとめると「脱毛するやつは美の価値観が画一的」と言われたりする未来が来ないといいな、程度のことでしかないのだけれど。もちろん、そういう「キャラ」のひとたちがそういうことを言っているのを見たわけではない。かと言って被害妄想か、というとそうでもなく、「先進的」なひとたちが「脱毛」を批判しているのを見たことがあるので……。脱毛したいひとも、したくないひとも、仲良くしていこうね。ちなみにぼくはピアスばちばちも派手髪も好きです。

 

 ぼくは日焼け止めを塗ったり日傘を差したり、たまにだけどネイルを塗ったりするのだけれど、女性からはそれらはおおむね好評だ。ただ男性からは「なんで男なのに?」と言われることがちょいちょいある。そう書くと、やはりPCがない方が窮屈な気がするな……いいじゃんね、別に日焼け嫌っても。

 ぼくは家族のなかでも女性とコミュニケーションを取る機会が多かったからか、比較的そういうものに興味が強いのかもしれない。(メンズメイクとかも、最低レベルはしてもいいかなと思ったことがある。ただクレンジングなどの「メイク落とし」を絶対にサボる自信があることと、趣味をこれ以上増やさないという強い意志のためにやめた。)

 ネイルを塗るようになったのは比較的最近で、確かここ2年くらいなのだけれど、そのときの職場でお客に「かわいいですね」と言われたのが嬉しかった。基本的には自分のためにやろうと思っているのだけれど、成功体験というか、そうやって褒められると心に残る。ひとのことは積極的に褒めていきたい(この間、高校の部活の友人たちに数年ぶりに会ったときも褒めてもらえた。嬉しい)。

 

 取り止めのないことを書いてしまったけれど、文章を書くことにあまり慣れていないので許してほしい。今日はこのくらいで勘弁しておこうかな。ふん。(????)

*1:これが悪いことだとは思わない。むしろ立派だと思う。けど、ぼくは千葉雅也の影響を割と受けているので「マジョリティによる包含の暴力」について考えたいとは思っている。よって「アライ」とは名乗れない。他者に踏みつけられているひとたちの苦しみが減ることを常に願っています。