剃の毛と身体

 「脱毛」の広告が悪いことの象徴のように言われていることをよく見る。電車のやつ。

 その気持ちはわかる。電車に乗ると「脱毛せよ」「転職せよ」「金を借りよ」「酒を飲め」の大合唱で、すべて資本の論理によって身体とか生活とかが囲まれる感じ、嫌だよね。

 でもまあ、ぼくはぼくで首から下の体毛はあんまりいらないな、とここ数年思っている。かといって地毛(髪の毛以外も地毛って呼ぶの???)が特段薄くもないので、入浴時間が非常に長い。剃るのに時間がかかるからだ。

 ぼくは男がスネ毛などを生え散らかしたまま短パンなど履いているのがあまり好きではない(本人は好きにすればよろしい)ので、ぼく自身は剃っていたい。それが現代的な資本の洗脳と言われるのならそれでいい。

 「脱毛」が美のスタンダードになってしまうのには抵抗したいけど(やりたいひとはすればいいし、興味ないならそれでいいしそういう美しさもある)、ただ「生えっぱ」を褒めたたえたくもない。

 これは完全に印象だけで確証もないのだけど、「現代的でポリコレ的な自由」の象徴にされたりするようなタレントさんとか「キャラクター」って、どこか同じ属性を共有しているする気がする。「髪が虹色or派手髪」「脇だろうがなんだろうが生え放題」「LGBTQ+アライ」*1「ピアスばちばち」みたいな。全部名乗っている個人が本当に実在したか確かじゃないし、いたとしてもサンプル数が極小の可能性もあるし、全然藁人形作っちゃってたら申し訳ないのだけれど。

 インターネットのアンチ・ポリコレのひとたちのような嫌悪をPC(ポリティカル・コレクトネス)には抱いていないし、自分は割とPC必要派ではあると自覚しているけど、しかしその結果として身体の表現とかが狭まることがないようにしていきたい。まとめると「脱毛するやつは美の価値観が画一的」と言われたりする未来が来ないといいな、程度のことでしかないのだけれど。もちろん、そういう「キャラ」のひとたちがそういうことを言っているのを見たわけではない。かと言って被害妄想か、というとそうでもなく、「先進的」なひとたちが「脱毛」を批判しているのを見たことがあるので……。脱毛したいひとも、したくないひとも、仲良くしていこうね。ちなみにぼくはピアスばちばちも派手髪も好きです。

 

 ぼくは日焼け止めを塗ったり日傘を差したり、たまにだけどネイルを塗ったりするのだけれど、女性からはそれらはおおむね好評だ。ただ男性からは「なんで男なのに?」と言われることがちょいちょいある。そう書くと、やはりPCがない方が窮屈な気がするな……いいじゃんね、別に日焼け嫌っても。

 ぼくは家族のなかでも女性とコミュニケーションを取る機会が多かったからか、比較的そういうものに興味が強いのかもしれない。(メンズメイクとかも、最低レベルはしてもいいかなと思ったことがある。ただクレンジングなどの「メイク落とし」を絶対にサボる自信があることと、趣味をこれ以上増やさないという強い意志のためにやめた。)

 ネイルを塗るようになったのは比較的最近で、確かここ2年くらいなのだけれど、そのときの職場でお客に「かわいいですね」と言われたのが嬉しかった。基本的には自分のためにやろうと思っているのだけれど、成功体験というか、そうやって褒められると心に残る。ひとのことは積極的に褒めていきたい(この間、高校の部活の友人たちに数年ぶりに会ったときも褒めてもらえた。嬉しい)。

 

 取り止めのないことを書いてしまったけれど、文章を書くことにあまり慣れていないので許してほしい。今日はこのくらいで勘弁しておこうかな。ふん。(????)

*1:これが悪いことだとは思わない。むしろ立派だと思う。けど、ぼくは千葉雅也の影響を割と受けているので「マジョリティによる包含の暴力」について考えたいとは思っている。よって「アライ」とは名乗れない。他者に踏みつけられているひとたちの苦しみが減ることを常に願っています。