ぶち切れよみよみ丸

 どうも、深由です。

 

 現在学校の課題で丸山直起『ホロコーストアメリカ』を読んでいる。課題と言っても、指定されたわけではなく選んだのは俺なんだけども。 

 

 読むのがのろのろな俺でも結構読みやすく、非情にはらはらさせられる展開も多くて面白い。今更ながら歴史の面白さというものを噛みしめているんだが、本書で述べられているある出来事を読んだ時、心底胸くそ悪くなった。本は悪くない。本が示す事実にである。

 

 1938年11月9日の水晶の夜以降、ドイツ国内で反ユダヤ主義が席巻していく中、アメリカでは「ユダヤ人児童を保護すべき」という声が上がる。アメリカは移民国家ではあるが、既にWASPによる権益が構造化されていた。1924年民法などの制定により、新規参入は極めて厳しい状況であった。そしてユダヤ人は流浪の民であるため、かつてから好かれてはこなかった。「労働を奪う」とされていたわけだ。今もそういうこと言う奴いるよな。

 そんで、まあ歴史的な経緯もあるわ経済的な余裕もないわで、ユダヤ人移民の受け入れに対し非常に慎重な姿勢であったアメリカだが、ドイツの非人道っぷりが顕在化してくると共に「せめて児童には門戸を開きましょう。大人の移民より負担は少なくすむし」という意見が出始める。ぶっちゃけ「移民の面倒見切れる余裕ないよ!」ってなっちゃうのは理解できる。世界恐慌もあるし、自国民の食い扶持稼ぐのに精一杯だったからこそ移民制限をかけていたのだろう。しかし、やはり人道的に児童は救うべきだという声が出てくるのは素晴らしいと感じた。1924年民法の改正案が提出され、児童を救うべきだと議会でいよいよ審議される。

 でもいるんだよな。反対する奴。在郷軍人会やら「アメリカ革命の娘たち」とかいう団体やらが「他の国にも犠牲になってる人がいるのになんでドイツ優先なんですか」とか「まずユダヤ人の子供より貧困にあえぐアメリカ人の子供を救うべきでしょ」とか一見正論っぽいことを言い始める。そんで(スパイにビビりまくってる)国務省も反発して廃案!(今調べたら「アメリカ革命の娘たち」はDARといって、独立戦争に参加した家系の子女で構成された団体だってコトバンクが言ってた)

 一方で翌1940年にバトル・オブ・ブリテンが起こると今度はイギリス人児童が危機に晒される。再び米国内で「子供を救え」という声が湧き上がった。今度は反対の声なし! イギリス人児童835人はアメリカに疎開した。

 そして疎開が報じられると米国内の1万5000以上の家庭から「6歳で金髪の少女であればうちで面倒みるが?」といった申し込みが殺到したという。(前掲書p161-163)

 FUCK OFF。無事疎開できたイギリス人児童は本当に良かったが、謎の正論っぽいことで反対し、阻害したクソ共は見殺しにしたんか。差別主義者め。

 いや、いいんだよ。差別主義なら差別主義で。「あー、クソだな。早く釘とか踏み抜いて死なねーかな」って思うだけだから。でもさ、こういう奴らの醜悪な点って「他にも犠牲が~」だの「アメリカの子供も~」だの何か別のものを隠れ蓑にしながら差別をかましてきやがる。差別したいならそう言えよ! 「俺私はユダヤ人もそのガキも嫌いだからアメリカの土を踏ませるな!」って思ってるならそう言え! 婉曲して自分の差別心を他の何かに仮託するな馬鹿!

 これだから「正論」は嫌いだ(括弧で区切ってるのに意味はないぞ。特定の雑誌とかを指してるわけでもないからな。勘違いするなよ!)。正論は一面において正しく、全くお話にならない。何も深まらない。軸がない。そしてそれはパっと見で正しそうなだけじゃないか。本当に正しいのか? アメリカ人児童の貧困を救うには、ユダヤ人の見殺しが必須だったのか? そんでなんだよ「6歳の金髪の少女」って。差別主義で眼を爛々と輝かせやがって。クソが。

 

 

 困ったことに、現代でもこういう奴らはいる。

 「こういう問題は解決しなくちゃいけないよね」って話をしてるのに「じゃあこっちはどうなんですか」とレイヤーの違う話をぶっ込んでくる馬鹿。ほんと爆発とかしねーかな。

新年ですってよ@2019

 あけおめでござる。

 

 2019年だそうですよ。今年も早いんでしょうか。早いんでしょうね。

 2018年は映画を150本観れました(ら抜き言葉)。2017年は120だったかなぁ、と思うので増やせてよかったです。見返してみると全部楽しかったなぁ、と思います。また今年もたくさん観れるといいなぁ。f:id:MyYm34443:20190101213435j:image

 

 さて、去年はあんまりお勉強できなかったように思えます。これは反省。なので今年はやはりお勉強しなきゃな、と思う次第です。そろそろ院試も意識しなければなりませんしね。ひえ〜〜、大変だ。

 2018年もたくさんの出会いがあり、また思いがけない再会もありました。とても良い年であったことは確かです。嬉しいこともたくさんでした。しかし僕は過ぎ去ったどの瞬間も大切にしつつも、それ以上に今このとき、そして次の瞬間を大事に慈しんでいきたいと思っています。楽しくしていきたいですね。

 また今年は去年以上に文化に耽溺して、意識を拡張していきたいと思います(あっ、スピリチュアルな意味ではないですよ。視野を広げるとか、アンテナを高くするとか、感動を深めるとか、現実的な意味です)。

 

 それではみなさん、良い年にしましょうね!

承認って大事

 米津いいよね、米津(敬称略)

 

 いや、最近米津玄師の曲にハマってるんですけど(つっても『砂の惑星』からの『BOOTLEG』入りの『Lemon』『Flamingo』というにわかにもほどがあるコースなんすよ)、ちょっと悔しいんですよね

 なにしろハチは僕の中学時代の青春のひとつを間違いなく構成していたわけで、ボカロ好きオタク中学生であったところの僕は同じくボカロ好き腐り中学生の元カノ氏とハチ曲を聴きまくっていたわけです。『マトリョシカ』と『パンダヒーロー』は中学生の頃永久に脳内リピートかましていました。

 特に2人で「オピウムってなんだ?」となり僕のAQUOSフォン内蔵辞書には書いていなくて(僕はわからない言葉はすぐに内蔵辞書で調べていました。ちゃんとした辞書がモバイル版だとは思うけど入っていてすごく便利だった)、iモードを使えなかった僕に変わって彼女が調べてくれたらアヘンのことであるとわかったりね。その後、中学も最終学年になり、高校に上がるにつれてインターネット文化から離れてしまい、ボーカロイドの動向もさっぱりでした

 

 そんな中「米津玄師」という読みにくいおなまえのミュージシャンが流行っていると。初めて名前を見たのは『アイネクライネ』の時だったと思います。最初聴いたときは「なんか恋愛の感じかぁ。ほーん」というくらいしか感想がなかったんですけど、なんとなくその米津玄師がハチであるという話も聞き始めたわけです。いや、隠してるわけじゃないしってか米津のYouTubeアカウントにハチ曲出てるじゃねえかそもそもTwitterにハチって書いてあるやんとか色々あるんですが、そこでなぜかひねくれた僕は反感を持つんですよ。多分「大衆に迎合した」くらいの幼稚な感想なんですけど

 いや、ボーカロイドファンはマイノリティだったのでそこで自分の優越を保つには、とても頭が悪いので選民思想になってたんですよね。よくわからんけど。「これがわかるやつはちょっと違う」「テレビでかかっているような曲はゴミ」とか言いたくなっちゃう訳なんですよね(お、すごい。今回のテーマに繋がる)

 

 しかしですね、選民的なくせにボカロ曲がテレビで使われたりすると(『千本桜』がやたらめったら使われ始めた頃だったと思う)嬉しくなるわけですよ。マイノリティであることにも価値を感じていたはずなのにマスを対象にボカロ曲が流れると嬉しい。僕はこの矛盾を高校の時にようやく自覚したんですが、とても意味のないことだったなと感じる次第です。今では米津も完全に「いいやんけ!」となるし開き直っていっぱいテレビに流れてるような音楽を楽しんでいます。あ、欅坂いいよな。かっこいい

 そんでこの間YouTubeで『Flamingo』のMVを見てながら(よせばいいのに)コメント欄を除いてしまったんですね。ようやくここから本題

 するとそこに「紅白には出ないの」「いやむしろ出て欲しくない」「紅白の枠にはもういない」と紅白を踏み台にして褒める人たちがたくさんいるわけです

 ポップスのシーンを支えているのは間違いなく中高生でしょうし、こういうの書いてるのも自分を見ているようでくすぐったいものがあります。この承認欲求がすごい

 紅白を恐らく「取るに足らないもの」という位置に置くことで米津上げをしているんでしょうが、しかしそこでわざわざ「国民的歌謡特番」を持ってくることがすごく「米津ファンの自分」の承認が露呈されているなあ、と感じるわけです。本当に取るに足らない番組だと思っていれば話題にする必要すらないわけですからね

 そういう心境はとてもわかるし、見ててくすぐったく思います。彼らが承認という意味で救済されることを心から願いますし、先日DAMが「今年カラオケで『Lemon』が最も歌われた」と発表したことは、彼らの承認を満たすとともに「世間的な認知をそんなにしてほしくない」「自分たちだけのものでいてほしい」という気持ちを加速させるでしょう

 

 うわあ、すごい感想文になってしまった。うん。書くことがなさすぎたんだよ

 とにもかくにも、僕は中二病というものは大事だと思っていて、そういう痛々しかったり若い考えを持っていたりと、そういうくすぐったいものを過去に持ったことのない人は信用できない(言い過ぎ)とも思うわけです

 思わず長文になってしまって申し訳Nothing。こんなことを書いている暇があれば小説を書けと叱咤しながらお風呂に向かいますね。おやすむなさい

久々サウスパーク

 わー、お久しぶり!

 

 さて、昨日は久しぶりに『サウスパーク 無修正映画版』を観ましたよ。

 友人とタコパしながらだったので集中して観たわけではないのでまあ微妙なところなので、楽しかったなあ

 

 Blame CANADA!!!!!(ひどい)

 

 初めて日本語吹き替えで観たんですが最初「あれ?これ日本語なってる?」と疑問に思たんですよ。なんか何言ってるか全然聞き取れないの。確認しても日本語になってるし……うーんなんだろうなあと悩んでたら思い出した。

 これ日本語吹き替えが関西弁になってるんだ!ふざけすぎ!(すき)

 

 友人が大阪出身だったので「こんなん言わんww」と笑っていたので良かった。いやー、ほんとひどいなあ。カナダが攻めてくるシーンとか『地獄の黙示録』っぽいし、サタンはかわいくみえてくるし、曲が名曲ばかりなのなんなの……お馴染みの"Kyle's Mom's a Bitch"や"Blame Canada"は極めて素晴らしい……てか"Kyle's Mom's a Bitch"ってなんとなく"Supercalifragilisticexpialidocious"っぽくない??

映画みたよ

 う、うわああああああああ!

 気が付いたら全く更新していなかったですね。

 

 いや、映画とかは割と観てたんですがリアルネームでやってるインスタに感想を上げちゃってるのでここに書くことないんですよね……うーん、よくないですねぇ。

 今日『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』を観に行ってきたんですがこの為にM:Iシリーズ一気観してました。『M:I2』の途中まで観て終わってましたね。全部観たら面白かったです。お気に入りは『ゴースト・プロトコル』かなぁ。全体的に面白いんだけど、なんかしっくりこない感じはあるんですよね。なんだろう。話が複雑すぎるってわけじゃない(でも大体毎回敵対関係とかわけわかんなくなる)けど、なんとなく「なんで今ここにいるんだっけ?」が多いんですよね。

 

 というか、1作目の時点で「俺なんとか逃げてきたんだよね」って上司の話を聞きながら「こいつが犯人だったら辻褄合うな~~」ってイーサンが考えてる、って演出がよくわかんなかったクチですからね。いや、そういう演出なんだろうなとは思ったけどちょっと確信が持てなかったというか、そんな感じです。

 

 『フォールアウト』なんですけど、長えよ! あと懐古趣味がすごい。いいんだけどさぁ、なんかもうちょっと新しいのが観たいな。あ、『最後のジェダイ』みたいな方向じゃなくてね。『最後のジェダイ』みはところどころ感じましたよ。「不可能が連鎖する」せいで作戦が杜撰になったり。脚本なんかないってのはわかるけどさぁ。あ、脚本と言えば脚本が緻密らしいんだけど飛行機の中で観たせいでよくわかってない『スリー・ビルボード』も観直したいところ。暗いけどね。

 

 いろいろ書こうと思ったんだけどインスタに書いてしまったし、それコピペするのもなんだかなぁ、と思ったので一応ここで締め切りますね。ばいびー。

Netflixでハッピーフィート観たよ

 ジョージ・ミラー御代は徹底して同じものを描き続けているって聞いたけど本当だね。基本的な理念が、画を変えているだけで変わっていない。かと言ってその理念は普遍的なものなので古ぼけたりはしない

 

 我々の魂の映画『マッドマックス 怒りのデスロード』もタップダンスを踊るペンギンの物語『ハッピーフィート』も共通の普遍的な正義を描いているんだと思った。

 すなわち「覚悟と正義で、状況を打破する」ことだ。うーん、やっぱり言葉にしちゃいかん気もするなあ。言葉にできたら映画なんて撮らないだろうから。でもあえて言うと、そういうことだと思う

 

 『ハッピーフィート』では主人公であるマンブルは、いわば障がい児のような扱いを受ける。卵のときに父親の不注意で(つっても「踊りだしてえな!」ってアガったらすべっちゃったのでこれはパッパ、痛恨のミスである)落とされてしまい、喉が他の皇帝ペンギンのように機能しない。普通にしゃべることはできるのだが、最も重要な「求愛の歌」が歌えないのだ。重ねて、足が弱いのか幼少時はよたよたと歩いていた。しかし本人は歌えないこともあるからか、足を使って踊ることには強い興味を抱いていた。

 

 でも踊ると「なんでえ、ダンスなんか」と白い目で見られてしまう。超かわいそう。自分が理解できないからと言って排除しようとするのはよくないと思いまーす

 そんな哀れなマンブルであったが、ある日群れとはぐれて出会った違うペンギンのグループ、アミーゴスはマンブルのタップダンスを「超ホットじゃねえか! 最高!」とほめたたえてくれる。そう、自分の特技を周りが認めてくれないのならば、認めてくれるところに行けばいいのだ。型にハメようとして自分を埋没させるようなところからは逃げてもいいんだ!

 

 アミーゴスとの出会いで自信を持ったマンブルは群れに戻り、若者はマンブルのタップダンスを称賛するが老害どもに追放されてしまう。なんでも、魚が減ってて餓えているとのこと。そんでもってその対策に、グレート・ギン様への崇拝が必要であるため、ギン様の教えにないタップダンスは認められません! ということだ。宗教はこのようにして改革を妨害してきたのだなあ

 

 「おれ心当たりあるから魚が減った理由見つけてくるわ」とマンブルは以前見かけた人間の痕跡を再度探しに行く。そしてマンブルは幾多もの困難に出会い、極めて強い覚悟をもって「科学と産業」という武器を手にした恐るべき猛獣、ヒトへ挑むのだ

 

 途中、マンブルは絶望に囚われてしまう。しかしそれでも、あるきっかけが彼を救うのだ

 マンブルは選ばれた者ではない。極めて歌の上手い二匹のペンギンから生まれた子供であることを考えれば、歌えないマンブルはむしろ、望まれない子供とも言えよう。事実、母こそマンブルの個性を認めていたものの、父はずっと罪の意識を感じていた。つまり、失敗してしまったと思っていたのだ。マンブルはそのまま暮らしていればおちこぼれだった。悪い方に人と違う、そしてそんな奴は悪徳であるとされるような社会に生まれてしまったが、彼は決して正義を捨てることはなかった。狡猾に動こうとはせず、きっともっと賢いやり方もあったのだろうけれど、それでも自分の思うままに生きた

 

 嘘をつけば追放を免れたような状況でも、「これが僕なんだ」とダンスを捨てなかったのだ。そしてその思いはやがて周囲に伝播し、変革を起こしてい

 

 これは『ベイブ』もそうだった。ベイブは食用豚としてもらわれるが、逆境にめげず、生まれ持った純真さがやがて、周囲に認められていく。なお、ベイブの監督はクリス・ヌーナンであり、ジョージ・ミラーはプロデューサーの立場である。まあ、この共通点からいくと単なる名前貸しとかではなく、本当にプロデュースしていると思う

 

 これらの状況を広報文化外交的に言うと「スマートパワー」ってやつだね(とってつけたような解釈)。武力のような威圧で従わせるのではなく、魅力で人を引き付ける。「周囲に自分を尊重させる」のではなくて、「周囲が自分を尊重してくれるようにする」という結果をもたらすのだ。少なくともハッピーフィートもベイブもこの点で同じだ

 

 勿論マッドマックスもそうだ。なんだかんだでマックスさん、純真さ溢れてるしね。というか、マッドマックスは覚悟の方によりウェイトを置いているってだけで、本質的には一緒だよね

 あと、映像にも勿論似たところはあると思う。氷を滑っていくところの疾走感やすげー高いところから海に飛び込むシーン、そしてマンブルが絶望した地点で場所を映し、大陸に引き、地球に引くシーン。あのインパクトはやっぱり惹きつけられる

 Nuxくんが「イモーター―――ン!」って嬉しそうに叫ぶとジョーがちらって見るシーンあるじゃんエンジン音でアップするやつ。あそこ好きなのでテンションが似ていて良かった

 

 さて、そんなこんなでハッピーフィート、超ハッピーになれる映画でした。本当よかったよ

 

 あ、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』も観たんだけどこれはまあ普通に面白かったですよ。(『よくわかる現代魔法』の)桜坂先生のラノベ原作ということで「あー、言われてみればラノベっぽさもあるなあ」と思わなくもないが、キャラクターとか徹底的にハリウッド化されているとのことで、映画としてはそっちのがいいよね。

 

 でももうちょっと博士の出番増やしてあげてほしいなあ。タイトルは原作タイトルの『All You Need is Kill』も悪くないんだけど(というかアルファベットなら良かった。カタカナがこんなに並んでいるのはどうなんだ??)、映画上映時原題の"Edge of Tomorrow"もいいんじゃないかな。パッケージ以降の"Live Die Repeat"はまんますぎてちょっと……

 

 ていうか事前にWikipediaなんて見るもんじゃないね。内容の根本的なシステムとはいえ、見てたらびっくりできるポイントを逃してしまった

HHHB BT

 PFUのHappy Hcking Keybord(HHKB BT)を買った

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 まだ全く操作感に慣れないんだけど(X1 Carbonのキーボードに比べてBack Spaceが遠いな!)、悪くはなさそう。かたかた鳴るのもいいし、なによりキーストロークが段違いだ。いや、当たり前なんだけどさ

 

 最初に使った自分のキーボードは2k円くらいのBuffalo製安物キーボードだった。Macbookより多少マシなくらいのキーストロークで、あんまりよろしいものじゃなかった。あ! 最初のキーボード自体はDELL ALIENWARE M14XR2だった。すごく普通のウルトラブック以前のノートPCのキーボードって感じのやつだった

 

 そんな中、昔見たブログでHHKBの名前を初めて見かけた覚えがある。そのブログ、もう無くなってしまってとても残念なんだけど、HHKBについての記事はすごく印象に残っている。まあ、HHKBのブログ記事なんていくらでも出てくるけどさ。あれほどの説得力をもった記事は中々なかったように思える。ん、心なしか内蔵キーボードよりも早く打てている気がしなくもないぞ。打ててたらいいなあ

 

 さて、今んとこおよそ500字ほど打ってみたけれどなんとか慣れてきた感はある。馴染んできたような。普段使いするかはわからんけど、少なくとも腰を据えて文字を打つ時には必須になるんじゃないかな。まだ慣れなくちゃいけないことは多そうで面倒くさいんだけど……あー、iOSでの挙動も試してみなきゃ

 

 Bluetoothってことで入力の遅延とかないか心配もしていたけれどこれが全くと言っていいほどない。内臓キーボードに比べて、まあコンマ0n秒ほど遅い気がしなくもないけれど、しなくもない程度だ。何の支障もない。てか手の動きが快適な分、やはり買ってよかったと思う。たっかいけどな!

 あー、でもやっぱりトラックパッドは手元に欲しいね。あれに完全に慣れてしまってる。マウスとどっちが便利なんだろうか……うわ! LINEが鳴って例の返信かと思ってびっくりしたけど、バイトの連絡だった! 心臓に悪い!!(これを書いているのは7/24の昼過ぎです)

 

 さて、私は『オーシャンズ13』を観るという重要な任務につかなければいけないのでこの辺で失礼しようかな。ああ、『ハッピーフィート』良かったです。これについてはまた別の記事にしようかな