8/31
幸福ということがほとほとわからない感覚が訪れている。
別に大きな意味での幸せとかそういうのではなく。
前はとても孤独感を感じていて、それが解消されるときになんとか精神が保てていたが、今は誰から連絡がきても「ふーん」という気持ちになる。以前ならば一瞬で返信したであろうことでも、いまは少し置きたくなっている。
細々と心中を吐露していたTwitterのあるアカウントで、8月の投稿をすべて消した。インターネットにおける、ある一区画のぼくに8月は来なかったということにならないだろうか。小規模な自殺。
「もし本当に死んでしまうときが来たら、悲しいから事前に関係を絶ってほしい」というようなことを言われたことを思い出した。本当にいなくなる前に、存在しなかったことになれと。なんだか楔になっている。死さえ認知されない。
ゆるやかに死んでいきたいという思いを少しだけ込めてダイエットを続けている。
生きている意味がない。とよくあることを少し考えた。
映画を観ても音楽を聴いても、その渦中しか喜びがなく、終わるとすぐに名の知れない悲しみに包まれてしまう。
ぼくはあまり優秀ではないので何も為すことができないだろうし、世界にとってなんらかの「生きている意味」があろうか。まあ、親類にとってはそりゃあるだろうが。直近ではバイトに穴が空いちゃうくらいしか思い浮かばない。
自分にとって深刻だと思っているこの空気ですら、きっといいことがあれば忘れてしまう。気分のむらに過ぎないのかしら。
いま死んでしまうと「コロナ禍における閉塞感」みたいなものとして認識される気がして悔しいのでまだ死ねないとも思う。完全にブームが去ってからタビブーツ買いたいみたいな。
夏が終わると言っているひとがいた。8月が終わるだけで、別に暑さは続くだろうし、暦としてはもう夏は終わっているのではないか。ぼくは秋が好きなので、今年は秋があるといいなと思う。
秋や冬が好きだから、秋や冬に死にたいと思う。自然死のときですら。しかも、寒くなると気持ちも塞ぎ込むのでちょうど良さそうだ。
こういう感覚も、しばらくするとなくなってしまうのかもしれない。また能天気に笑う瞬間がきて、同じように落ち込むときがくるのだろう。疲れてしまった。