コンクリート

 世界の形がぐちゃぐちゃになってきた気がした。そんな気がしていただけで、本当は世界が定型だったことなんか初めからなくて、信じられるものを求めたい弱さが見せていた影だったんだと理性が叫んでる。

 大きな物語が失われていくのって、こんな感じなんだろうかと想像してみる。

 ぼくの生まれた90年代後半はすでにイデオロギーとかそういう、信じるに足るものが喪失したあとの時代だって触れ込みのようだ。その時代に生まれたぼくは、その時代を知らない。自意識なんかなかったから。

 大きな物語がなくなった世界で、信じられるものを失った世界で、それでもぼくはぼくなりに「世界」という言葉で区切られた塊を見ていた。でもその内部にあるぐちゃぐちゃとした粘性の、不透明な、そして陰湿に流れるものたちが奔流して弾けて、いつしかぐにゃぐにゃとした不定形の塊になっていった。信じられるものはないし、求めるべきでもない。いつまでも涙をこぼしてみることしかできない。