小説家

 小説を書くことに憧れている。

 小学生の頃から小説を書いてみたくて、いつか作家になってみたかったような気がする。でも昔からやることといえば、原稿用紙を広げて鉛筆を用意して、それっぽい一文を記す。あとは脳内で、いかに自分が作家として成功するか、芸術的な傑作を連発するかというような妄想が垂れ流されるだけ。実際には、僕の脳内からこの世界にレンダリングされたのは、幽かな一文だけなのに。

 昔に比べたら小説のネタが出てこなくなってしまった。終わらせるのが日に日に難しくなっている。高校時代、文芸部の冊子に寄せる小説が一番まとまっていたかもしれない。今は、何か意味のあることを書こうとして何も書けなくなる。この小説は「登場人物が幻想的な死を遂げ続けることで、精神の曖昧さを示す」みたいなこと。コンセプト先行で頭の中が抽象で埋め尽くされてしまう。具体は何も出てきやしない。小学生の時と何も変わっていない。常に理想の中で溺れている幸せから抜け出そうとしない。本当に書いてしまうと、自分の力のなさに愕然としてしまうからかもしれない。それを繰り返して、なんとか読むに足るものが形作られるのだろうとは思う。頭ではわかっているものの、生来の怠惰がそれを許さない。

 僕は頭の中にふと浮かんだ書き出しを記述するところから始めることが多々ある。先の展開も着地点も何も考えない。結局、結末することなく放り投げられる。そういうデータがたくさんある。ストレージに納められた未完のデータたちが今も書き足されるのを待っているのかも知れない。村上春樹もそういう書き方をすることがあるらしい。そういう文を読んだ時に親近感が湧いてしまった。僕は完成させていないのに。未完の傑作よりも完結した駄作の方が何億倍も偉い。そんな言葉があったような気もする。夏目漱石の『明暗』とかは除いて、だろうけど。

 このまま僕は何も完成させることはなく、何者かになりたいと願い続けることしかできない。それでも僕は、世界のあらゆるものへルサンチマンを迸らせつつ、呼吸をしていくしかないのに。