声はどのように映画館から駆逐されたか:映画館マナーの歴史に向けて

 こんにちは。

 みなさん、映画館に行っていますか? いいですよね、映画館。ちなみに値段は毎秒上がっていて、来年は1人6500円になります。

 さて、Twitterなどでは大作映画の公開など、ことあるごとに「映画館内マナー」について盛り上がります。ぼくの立場としては、穏健に言えば「みんなが他者を思いやって過ごしましょう。そのなかには許しあうことも含みますよ」という感じです。本音としては「(リュミエール的な)シネマトグラフの空間として映画館は存在しており、それは他者との場であり、常に衝突と譲歩が共存する場であるべき」となります。言い換えですね。ぼくのスタンスについてはいまは措いておきます。最後にステートメントとしてそこそこありますので、よかったらご覧ください。

 

 映画館マナーについてはみなさんが好き勝手言っており、大概は「ルールを守れ!」の合唱なのですが、そのルール、ひいては自明視されているマナーは本当に不変/普遍のものなのか、ということです。ルールやマナーを守ることはもちろん大事ですが、ルールはどのようにできたのか、そのルールは当然なのかを考える機会も大事だと思います*1

 結論めいた言い方をすると、それは時代を経るにつれて段階的に構築されてきたものであり、同時に決して映画館が一方的に課しているルールではなく、観客との共犯関係のなかで作動している規律権力なのです。

 ここから、ゆえにマナーは厳しくあるべきと考えることも、ゆえにマナーはもう少し緩くてもよいだろうと考えることも可能でしょう。しかし、自分の考えた映画館の常識、みたいなものを放つ前に蓄積に触れるのもよいのでは、と思います。

 

 では、どのような段階を経て、ぼくたちは「映画館では静かにするもの」というイメージを抱くことになったのでしょうか。

(以下は2023年に提出されたぼくの修士論文を、特に映画館の静粛性について抜粋・改稿・そこそこ加筆したものとなります。よって常体で書かれています。いくつか事前に言い訳めいたことを述べると、そもそもは映画上映の静粛性の高まりが応援上映を準備した、ことを示すための説明を下敷きとしています。マナーの変遷そのものを主眼とした論文ではなかったため、かなり粗く、時系列や議論に穴があるかと考えます。ここは後々アップデートさせてください。ご意見もいただけるとありがたいです)

 

1.トーキー以前/以後:声に満ちた空間と「ノイズ」の発見

 現在、われわれが訪れる日本の映画館では、上映中に話したり、声を上げたりすることは当然のようにマナー違反とされる。しかし、この静粛性の規範は映画の誕生以来、常に存在していたわけではない。

 まず、ここで現在の映画鑑賞における静粛の要請が究極に高まる地点、映画館マナーの完全形を2014年に置くこととしよう。それは、2014年10月に朝日新聞に掲載されたアメリカ人留学生の当初に、日本の映画館でひとびとは口元だけしか笑わないという意見*2に見ることができる。とうぜん、これは日米間における文化的差異であると言ってのけることは簡単である。アメリカのひとびとのリアクションと日本のひとびとのリアクションは大きく異なるだろう。

 しかし日本のひとびともマナーの体系が変われば*3声を押し殺し続けるとは限らない。むしろ積極的に声を出す場合が多いだろう。すなわち、文化的差異というよりは場を支配するコードの差異であると推測できる。それが「他者」から指摘されている2014年を、現在的な静粛の空間としての映画館の最終形としてみるとき、いかにして映画館から「声」が追放されたのか。それを検討していくのが本稿の企図となる。

 周知の通り、映画の歴史は1895年のシネマトグラフの発明から始まるが、当時のフランスの観客は『ラ・シオタ駅への列車の到着』にて迫りくる列車を見て、驚き逃げ惑ったという逸話がある*4。映画の世界は驚嘆の瞬間から始まる。そこにはかならず声があったはずである。

 また、あえて触れると、1891年のエジソンによるキネトスコープの発明は、もうひとつの映画認識の可能性として近年注目されている*5。ひとりで映像を楽しむメディアであったキネトスコープと、空間への投影とそれによる集団での鑑賞に基礎付けられたシネマトグラフを対比して考えてみると、シネマトグラフ-映画館の最大の特徴は「他者と同居する空間」であると言える。

 さて、映画館という施設が普及してからはどうだろうか。映画学者の板倉史明は1910年代の日本の映画館について、次のように記している。

[引用者註:1910年代の]子供観客たちは映画館の最前列を陣取っていたわけだが、弁士にもっとも近い場所から、弁士に対して歓声を上げたりからかったりしていたのである。結局、一九一〇年代の(特に子供観客が多かった日本の旧劇映画を上映する)映画館内は、子供たちの話し声や掛け声、さらには歌声などといった多様な「ノイズ」に満ちていた空間であり、かならずしも静粛さを要求するような空間ではなかったのだ*6

 

 サイレント映画時代の日本では、スクリーンの傍らに活動弁士が存在し、映画について語り、説明することそのものが上映の一部だった。したがって、映画館の中に「発声する人間」がいること自体が常識的であった。同時に、観客もまた歓声を上げ、弁士をからかい、会話し、ときには歌っていた。

 つまり、「映画上映中には黙るべき」とする現在の常識は黎明期においてあり得なかったのである。むしろそこは大衆娯楽の施設であり、声が響き渡る空間として存在していた。

 さて、映画館の静粛性において転換点となるのが1930年代初頭のトーキーへの移行である。世界初の長編トーキー映画『ジャズ・シンガー』が1927年に公開されてから、映画のフィルムにはサウンドトラックが付くようになった。

 トーキーが見られるようになった1930年代の日本の映画鑑賞空間について、板倉は以下のように指摘する。

一九三〇年代初頭の日本映画は、いうまでもなく、無声映画からトーキー映画への移行期でもあった*7

 映画フィルムそのものにサウンドトラックが付随してから、それまで存在していた活動弁士は退場することとなる。そこで重要なことは、映画から音が聞こえるようになった、という単純な事実のみではない。それによって映画に記録された音が「聴くべき作品の一部」と認識されたことである。すると、サウンドトラック以外の音が「ノイズ」へと認識的に変化する。

 さらに、このフィルムにおける技術的変化と並行し、映画それ自体の捉え方も「見世物」から「作品」へと変化していった。その結果、没入的な鑑賞が支配的となる。ここでも板倉の議論を紹介しておこう。

芸術的な映画「作品」という概念が生まれてはじめて、観客はその「作品」をひとつの総体として理解し、鑑賞したいという要求が生まれる。その結果として「作品」の鑑賞に集中するために、注意を拡散させるような「ノイズ」をできるかぎり排除する傾向が生まれ、映画観客は映画館内の静粛さを要求することになる。*8

一九三〇年代以降、日本の映画館をめぐる言説は、映画作品を鑑賞することに集中できる「見る」ための場を理想とするものへと少しずつシフトしていったのである。*9

トーキー映画の出現によって映画館内の観客の作法は、映画作品の鑑賞に集中し、没入することが支配的になっていったのである。*10

 映画館の静粛化は、したがって二つの変化によって支えられている。

 第一に、トーキーの登場によって映画の音が「聴くべき音」として峻別されはじめたこと。

 第二に、映画が「見世物」ではなく、最初から最後まで集中して受容すべき「作品」となったことである。

 この「作品」化は、物語映画の成立とも結びついているだろう。足立加勇がトム・ガニングを参照して整理するように、初期の「アトラクションの映画」では、スクリーン上の被写体が、“観客との触れ合い*11”を意識するような展示的性格が強かった。

 1906年以後に物語映画が支配的になるにつれて、観客に直接働きかける「見世物」から、観客がその内部へ没入する「作品」へと映画の性質が変化していく。*12

 これをもって映画は静かな環境でみるべき時代が始まった、と言ってよいかもしれない。しかし、それはまったき静寂ではない。現代のわれわれがイメージするような静粛の到来は1990年代を待つ必要がある。

 

2.ヒッチコック『サイコ』をめぐる施策:規律権力の身体

 「静粛な観客」を用意したのは、映画の内容や技術だけではない。映画館の興行システムそのものが観客の身体を規律化していった面がある。

 その重要な例が、アルフレッド・ヒッチコック『サイコ』(1960)の上映をめぐる施策である。

 映画研究者リンダ・ウィリアムズは、アメリカにおける『サイコ』の興行にて行われた定員入替制に注目する。観客は、好きな時間に映画館へ入り、途中から映画を見始めるのではなく、上映開始時刻に合わせて映画館へ来るよう求められた。

観客は[引用者注:興行側からの施策によって]上映時間を覚えるように訓練され、遅れると次の上映を待たなければならない。また、いったんチケットを購入すると、チケットホルダーの列に辛抱強く並ぶように誘導されなければならない。劇場支配人の新しいキーワードは、上映時間を正確に決めて効率よく上映する「満員と入れ替え」であった。*13

 これは単に映画館が新ルールを観客に強制した、というだけの話ではない。

 観客自身が、『サイコ』をもっと面白く見るため、自らその規則へ従った、いわば共犯的な関係である。遅刻せず、列に並び、上映開始まで待ち、最初から最後まで作品を見る。ウィリアムズは同時に、このような形における観客の形成をミシェル・フーコーの規律権力論と接続している。

 フーコーは規律権力について、"こちらが定める速度および効用性にもとづいて他の人々を行動させる*14"ものとする。

映画館側が上映時刻を決め、観客がその時間に合わせて集合し、列を形成し、定員入替制によって劇場へ入場する。この一連のプロセスは、観客を「従順な身体」へとする規律訓練である*15

 繰り返すが、それは映画を見る楽しみを奪うための訓練ではない。逆に、観客自身が作品を最大限楽しむために、自ら進んで規律に従う。

 ここで、「映画=作品」という認識と映画館において作動する規律化が接続することとなる。日本を見てみても、同時期の1950年代から1960年代にかけてテレビが普及する。それと同時に映画は大衆娯楽の座をテレビに奪われ、自らオルタナティブなものとして再定義するようになった*16。日常としてのテレビが現れ、映画館へは「作品」としてパッケージングされた映像を観に行く。そのときは黙るのを基本モードとする。映画が非日常性と結びつく契機がここにあるだろう*17。1930年代以降に進んだ映画の「作品」化が、1950〜60年代にはテレビとの対比のなかで、映画館固有の鑑賞様式として社会的に再編された。

 繰り返すように上記はアメリカにおける研究であり、周知のとおりアメリカでは日本よりも映画鑑賞のスタイルが大きく違う。前述した留学生の指摘するように*18、映画に対する反応の大きさがまったく異なる。しかし、次節で見るように定員入替制は日本においても大きな意味を持っていた。ゆっくりと、確実に「ノイズ」は追いやられていく。

 さて、『サイコ』での施策において効果を発揮した「満員と入れ替え」、すなわち定員入替制はどのように日本において取り入れられたのだろうか。その最初期の例として、本稿では東京・神保町の岩波ホールを挙げよう。1975年のことである。

 ただし、当時の観客はこの制度を自明なものとして受け入れたわけではなく、"観客からかなりの抵抗があった"*19とされている。

 つまり1970年代の日本では、「上映時間に合わせて来場し、一本の映画を最初から最後まで見て、上映終了後には全員が退場する」、現在ではほとんど意識されない映画館の行動様式が、まだ新しいルールとして意識され、観客は抵抗を覚えていた。日本の映画館に静粛が導入されていくプロセスにおいて、1975年には自由に出入り可能な映画館という、「ノイズ」の残存する空間の存在を想定できるのである*20。観客は、映画を(没入対象としての)「作品」として認知しながらも、そこにまったき静粛を要求するのではなかったのである。

 現在のシネマ・コンプレックスでは定員入替制はほぼ当然の制度であり、1975年に見られたような抵抗はほとんど存在しない。規律は「規則として命令されているもの」から、「映画を見るなら当然そうするもの」へと時代を経て身体化されたのである。

 

3.シネマ・コンプレックス以前/以後:究極化する静粛の空間へ

 ここまでの段階ですでに、トーキー以前と映画鑑賞空間は大きく様変わりしている。映画館は作品鑑賞の場として認知され、それなりに静粛の空間であっただろう。

 しかし、まだ現在の映画館の静粛性が完成したわけではない。遡って1960年代の映画館では、特に深夜の上映では観客がスクリーンに向かって声を上げていたとも言われ*21、映画作家の松本俊夫は1979年時点においてヤジの飛び交う劇場を想定し「集団的融即」なる概念を提出している*22。また、入替制は導入されてもすべての映画館がそうであるわけではなかったし、立ち見も多かった。

 つまり、1990年までには観客の側では静粛化が進んでいる*23し、いずれ来る静粛の空間は準備されていた。しかし、映画館という装置そのものが現在と同じ水準で静粛を要求しているわけではなかった。

 さて、予告した通り、最後の大きな転換点が、1990年代以降のシネマ・コンプレックスの普及である。板倉は、シネマ・コンプレックス普及後、指定席制と入替制が加速したと指摘*24している。

 上述したように、シネマ・コンプレックスは徹底した指定席制・入替制を導入し興行システムを一新していった。ここにおいて映画におけるこうした規律権力は急速に定着していく。それは当然、観客自身の「うるさくない場所で観たい」という欲望と相互に要請しあったものと言える。

 重要なのは規律権力だけではない。環境の完成である。映画学者の加藤幹朗は、シネマ・コンプレックスの音響設備そのものが静粛性を要求するようになったことを指摘する。

[引用者註:シネマ・コンプレックスでの映画鑑賞において]サウンドトラックの無音状態は無音状態としてそのまま味わうことができるようになった(サウンドトラックのノイズも空調設備の音も聞こえないので観客が息を殺して身動きせずにいれば、館内はほとんど無音状態と言えるものになった)。こうしてシネマ・コンプレックスは音響性能の質的向上によって、観客に一層の静粛性を要求するようになった。*25

 高性能な設備を備えたシネマ・コンプレックスが出現したことにより、映画のサウンドトラックに存在する「無音」を無音として聞くことができるようになったのである。

すると、観客の咳、会話、物音、携帯電話の音などが突出した「ノイズ」として知覚されるようになる*26

 本稿では、1930年代のトーキー化以降進行してきた映画館の静粛化が、1990年代のシネマ・コンプレックスの普及によって完全に準備されたものとして捉える*27。その結果、現代の観客は周囲の観客が音を発しただけで、作品への没入を阻害されたと感じるようになったのである。

 SNSで見かけるような「観客ガチャが悪かった」「観客ガチャに外れた」という言葉が成立するのも、他の観客が本来「存在しないかのように静かであるべきもの」と認識されるようになったからと考えられる。そこには他の観客を透明化しようとする欲望が認められる。それによって私-映画のみが存在する純粋な経験を成立させる鑑賞空間が望まれるようになる。

 そしてシネマ・コンプレックスはその豪奢さ、「ノイズレス」な環境を売りにするようになり*28、静粛の要求は苛烈さを増す。それはビデオやDVD、Blu-ray、やがて配信ストリーミングサービスに至る、家での映画鑑賞が影響するだろう。映画館離れを恐れるように、映画館はIMAX、Dolby Cinemaなど、多くのプレミアムフォーマットを提供する。すると、静粛を要求する環境の力学はより強くなる。映画館におけるマナーの厳正さは全体として底上げされていく*29

 付け加えておけば、いわゆる「応援上映」は、そのような厳粛な静粛の要求が存在の条件にあったと言える。ヤジはもとより、盛り上がることが忌避される現代*30の映画鑑賞空間にあって、そこから抜け出るように構想された映画鑑賞のスタイルとして「応援上映」を捉えることはできる。しかし、同時に「応援上映」もまた別様の「マナー」の厳粛化から逃れることはできず、あたかも歌舞伎における大向うのように、どのような声をいつ発するのかが気にされるようになっている例も少なくない。ただし本稿はあくまで応援上映の考察を目的としていないため、ここでは以上に留める。

 1930年代から始まった映画内容の変化によって形成された、「静かに映画を鑑賞する欲望を持つ観客像」があり、一方で1960年代以降には、上映時間や入替制を通じて観客の身体を規律化する興行制度も前景化していった。その終着点にシネマ・コンプレックスの普及があった。現在、「観客ガチャ」というSNSの言葉や、「静かすぎる」という外国人の目線、あるいは応援上映の登場それ自体といった、現代の強力な静粛性を指し示す表象は、シネマ・コンプレックスにおいて合流した「静粛な観客」が究極的に形成されたことを示している。

 以上が、映画館から声が追放されるまでの過程である。

 

4.最後に:映画館マナーはどうあるべき、と考えるか

 ここまで映画館と観客の歴史を見てきて、静粛化の流れは1930年代から段階的に進んだものであること、それは複線的なものであり、またそもそも静かにするかどうかを含め、その静粛性の強度に至っても時代によって一様でないことが確認できた。

 では現代の、声を出して笑うことすら憚られる映画鑑賞空間をどう捉えるべきか。ここからはぼく自身の考察が強く含まれ、いわゆる「べき」論になる、いわばステートメントである。

 さて、上記のような歴史を見ても、「映画は静粛を求め、段階的にそのようになったのだから、これからも強く静粛であるべきだ」と言うことも、「作品に呼応して身体を反応させるかつての映画空間のほうが豊かであった。取り戻すべきだ」と言うことも、近しい強度で可能だろう。それはそれぞれのスタンスに依る。映画館マナー史を知っておのずと態度が決定されるような、単純なものではない。ただし、「ルールだから」と都度唱えるような強度の低い言説は、経緯を知ることで駆逐できると考えている。そのために書いたのだった。

 繰り返し書いたように、現行のマナーもまた規律権力のたまものであることから、劇場が求めていると同時に、観客自身が望んだ成果であるとも言い得る。ここにおいても、観客は能動的に自らの求めるルールを構築したと言えなくもない*31

 ぼくたちも求めたわけで、そういう「ルールは守るべき」、その通り。ただし、ルールは不変/普遍でもなかったし、正しさとは別の水準のものだ*32

 そして、映画館内マナーが規律権力である以上、遵守することが観客の利益になる一し方で、管理者の都合によって運用されていることにも留意すべきである。フランクフルト学派の哲学者たちを召喚するまでもなく、ぼくたちは映画という芸術形式が常に資本との関係を取り結んでいることを知っている。映画産業はぼくたちを、時間通りに召喚し、一定時間が経過したら退出させ、「満員と入れ替え」を目指して利潤を最大化する*33。一定の苦情が来ればマナー、ルールとして禁止する。それが本来的かどうかを考える前に、好むと好まざるとに関わらず、ぼくたちは従う。やがて、かつて存在していた余剰や些細さは刈り取られて、漂白された快適さに浸る。映画そのものへ向ける注意力よりも、わずかなノイズに反応する知覚を発達させながら。

 ぼくたちは映画に向き合う静粛を欲望した結果、自縄自縛に陥り、映画に対する反応の自由を欠いてしまった。それどころか、自由に振舞うひとを「マナー違反」と蔑視するようになった。健全な反応とはどのようなものかは、それぞれの判断になるだろうが、ぼくは映画作品に対して反応を制限したからといって、没入の精度が上がることはないと考えている。特にリアクションの大きいアメリカのひとびとよりぼくたちはより純粋に、より没入して映画に向き合っているのだろうか? あり得ない。そして、ぼくたちの「完全に没入した、純粋な経験としての映画鑑賞」とはどこかに存在するものなのか*34

 目線を1895年に戻してみよう。映し出された列車に、工場からひとびとが出てくる様子に驚嘆する観客たちがいた。驚きは、映画を支える原理のひとつであろう。そこは、他者と同じ空間に身を置くことで成立していた。ときには不愉快でも他者と肩を並べて、映像を眺めること。思わず吹き出すこと、声を上げること、そしてときには同行者と顔を見合わせたり、声を交わしたりすることですら、豊かなことなのかもしれない。哲学者であるルソーは、演劇の鑑賞空間を暗い場所にひとびとを閉じ込め、それぞれと無縁の物語を眺めさせる非道徳的なものとして非難した*35。ルソーからしてみれば、他の観客を透明化したがるぼくたちは不道徳な人間でありうる。

 映画館が騒がしい空間であるべきとは思わない。しかし、和気藹々とまでしなくても、許しあう空間であってよいと思う。マナーは重要である。しかし、マナーにとって重要なことは、自分自身がそれを守ろうとすることではないか。互いに思いやることが必要だが、思いやれと強迫的に求める必要はない。いろんなひとがいる。

 他者の違反に目を光らせて、かえってぼくたちの身を強張らせていないだろうか。スマホの光は邪魔だ。話し声にもうんざりだろう。後ろから蹴られたらたまったものではない。ポップコーンの咀嚼音もうるさいし、ビニール袋の音が、椅子の軋みが、衣擦れが、吐息が鼻息が、そして、そして*36

 声の追放の歴史は、進化の歴史ではない。シネマトグラフの空間というひとつの極から、キネトスコープの拡張空間というもうひとつの極への移行にすぎない。どちらも映画の始原に示された可能性であった*37。つまり、ぼくたちはどちらのポジションも選ぶことができる。ぼくの場合、既に誰かを排除しつつある、純粋性を目指すキネトスコープ的な映画館は過剰な厳粛さだと評価する。何も初期映画の時代の声を呼び戻す必要はない。ただ潔癖さを遠ざけたいのだ。苛立ちや不満は敵ではないし、映画のあるショットを観るとき、その視界の端に光る物体があるからと死んだりはしない。あなたの経験は、実のところなにも損なわれていない。

 もちろん、あえて映画館という空間にあって1対スクリーンの関係を理想とし続ける立場もありうる。ぜひその理由を語ってほしいと思う。「ルールだから」「決まっているから」「常識だから」とは異なる言葉で、あなたはなぜ純粋性に向かう必要があるのか、あなたの視線は何を捉えようとするのか、ぜひ教えてほしい。

*1:ローザ・パークスはルール/モラル違反どころか秩序への反発とされたことは思い出されてよい

*2:「(声)映画館でなぜ日本人笑わぬ【大阪】」(『朝日新聞』2014年10月15日)

*3:例えば応援上映の空間。またはお笑い・テレビ観覧・スポーツ観戦など別の性質をもつものを思い浮かべてもよい

*4:これは事実かは明らかではない

*5:文芸批評家の福嶋亮大やメディア・アーティストの落合陽一は現在のスマホでの映像視聴をキネトスコープと関連付けて論じている。福嶋亮大『メディアが人間である 21世紀のテクノロジーと実存』(blueprint、2025)、落合陽一『デジタルネイチャー』(PLANETS/第二次惑星開発委員会、2018)を参照。

*6:板倉史明「映画館における観客の作法――歴史的な受容研究のための序論」『日本映画は生きている』(岩波書店、2010、p.233)

*7:板倉、2010、p.233

*8:板倉、2010、p.234

*9:板倉、2010、p.236

*10:板倉、2010、p.238

*11:トム・ガニング(中村秀之訳)「アトラクションの映画」『アンチ・スペクタクル――沸騰する映像文化の考古学』(東京大学出版会、2003、p.306)

*12:足立加勇「観客参加型コンテンツの成立と友情物語――少女向けアニメ『プリキュア』シリーズにおける観客参加の方式」『アニメーション研究』Vol.13(2012、p.15)およびトム・ガニング(中村秀之訳)「アトラクションの映画」『アンチ・スペクタクル――沸騰する映像文化の考古学』(東京大学出版会、2003、pp.305-308)

*13:Linda Williams, “Discipline and Fun: Psycho and Postmodern Cinema,” in Linda Williams & Christine Gledhill eds., Reinventing Film Studies, New York: Oxford University Press, 2004, p.363

*14:ミシェル・フーコー(田村俶訳)『監獄の誕生――監視と処罰』新潮社、1977、p.143

*15:Linda Williams, “Discipline and Fun: Psycho and Postmodern Cinema,” in Linda Williams & Christine Gledhill eds., Reinventing Film Studies, New York: Oxford University Press, 2004, pp.363-364

*16:藤木秀朗『映画観客とは何者か――メディアと社会主体の近現代史』(名古屋大学出版会、2019、第6章)を参照。また、藤木は1958年には「黙ってみる観客」が成立したとも指摘している(藤木、2019、pp.380-381)

*17:後に詳述することになるが、シネマ・コンプレックスの映画鑑賞に最適化された空間は非日常性を強めていると言える。また、東京・池袋のグランドシネマサンシャインや新宿のTOHOシネマズ新宿は現代におけるピクチュア・パレスのごとく顕現している

*18:「(声)映画館でなぜ日本人笑わぬ【大阪】」(『朝日新聞』2014年10月15日)

*19:髙野悦子『岩波ホールと〈映画の仲間〉』(岩波書店、2013、p.38)

*20:1980年代などの映画鑑賞について当時の話を聞くと、「次の回の席を取るためにエンディングから入場した」などの経験を容易に聞くことができる

*21:板倉、2010、p.242

*22:松本俊夫「映画館考」『ヴァリテ 映画と批評』(リュミエール社、1979、p.123)

*23:映画観客研究者の藤木秀朗は1958年までには静かに映画を観る観客の姿は定着していたと指摘する。藤木、2019、pp.380-381

*24:板倉、2010、p.244

*25:加藤幹朗『映画館と観客の文化史』(中央公論新社、2006、p.167)

*26:新聞投書を見ても音に対する苦情は1990年以降増加する。ただし、これはそれ以前に苦情対象であった煙草などが禁止になっていったなどの背景もあるはずで、新聞投書のみにおいて評価は難しいが、考察を進める上の一助にはなるだろう

*27:ここで完成と言ってしまってよいが、いまの形が完成して2014年までに究極化したと捉えるのがよいだろう

*28:環境設備の品質上の「認証」であるTHX認証を日本で初めてワーナー・マイカル・シネマズ海老名が受けたのは1993年のことである

*29:板倉は子供連れでの鑑賞を前提とした「ママズクラブシアター」を挙げ"静粛さを保つことができない観客は、そのような特殊な場でしか私語は許されないことになってしまった"と指摘している。板倉、2010、p.245

*30:2010年代以降

*31:藤木秀朗の研究は、ここに留まらない社会主体social subjectとして映画観客たちが規範によって形作られ、そして規範を逸脱していくことを明らかにした。

*32:悪いと思ったルールには逆らうべきである。別に大騒ぎすべきと主張しているわけではない。ただし厳格な運用への疑義を呈すことは当然である。その先には全員が同じ表情・同じ姿勢で映像に向かう空間が常に待ち受けている。その危険は映画がいかに宣伝とともにあったかを考えるだけでよいだろう。大げさではない。映画館マナーをめぐる意見対立はすでに外国人差別の言説を呼び込んでいる。また、乳幼児、というよりその親たちは一般上映から排除されつつある。電車で泣いている子供やその親を怒鳴りつけることとどう違うのか。映画は娯楽だから公共交通と別だと言う向きには、ぼくたちはひとり残らず"健康で文化的"な生活を送る権利がわが国で重視されていることを示す、ある一連の文書が存在していることをご記憶に留めていただきたい。

*33:その延長上に、ヒットが見込まれる「国民的」映画を複数スクリーンで1日中かけ、地味な作品が早々に上映が終了するなどといった現象が起こるのは容易に想像がつく

*34:「異化」のような述語を持ち出さなくても、没入に対しては注意が向けられてきたことは明らかである

*35:ルソー(今野一雄訳)『演劇について――ダランベールへの手紙』(岩波書店、1975、p.224)

*36:自分の不快感を何よりも重視し、安全より安心を慈しみ、自身の目的にとって邪魔なノイズ=他者を遠ざけた先のイメージを、ぼくたちは『新世紀エヴァンゲリオン』などから見て取ることができたはずだ

*37:何かが違っていれば、キネトスコープが映画とされ、やがて空間に投影されて大勢でみるように「なる」世界もあっただろうか? そのような世界においては、20世紀が映画の世紀と呼ばれることはないだろう